「身八口」,「衿」,「左前」
身八口(みやつぐち) 結婚式場を経営されているお得意先の衣裳担当課長さんからお聞きした話です。
『留袖をご利用頂いたお客様が、この式場で借りた留袖は破れていたとアンケートに書いてあったので、大変な事をしたとご自宅に伺いお詫びをして「充分注意をしているのですが、どこが破れていましたか」とたずねたところ「留袖の脇が縦に破れていた」とお答えになったので、お客様に恥を欠かす訳にもいかず、身八口の事をご説明させて頂いたんです。』
お客様の年齢は50才前後だったそうですが、ごく一部の方とはいえ、「日本の女性も和装に対する知識はこの程度」と思って接する必要があると痛感いたしました。

身八口は現在の着物では、女物と子供(男女共)だけで、男物にはありません。
何故女性の着物だけに身八口あるのか。
昔は帯をしない子供物だけに、紐を通して着るためにあったのです。

「八つ口」と呼ばれる前は「脇明(ワキアケ)」と言いました。
脇明が一般化したのは江戸中期(270年前)の事で、女性の帯巾が段々広くなり胸高に締めるようになったからです。
当時の芸能人、特に踊り子の風俗からで、手の動作をより自由にし、袖を使用しての所作がより豊富となり舞踊に取り入れられた事がきっかけで、脇明が一般の女性に広まっていきました。
後に「八つ口」と呼ばれる様になったのは、

  • 着物の口が8つ有ることから。
    身頃脇下の方を「身八口」、袖の方を「振八つ口」略して「振り・振り口」、それに袖口の6個所と、衿の所と裾の8つです。
    舞踊用語に「振り付け」と言うのがありますが、舞踊との深い関わりを感じさせます。
  • 袖付けの下部を左右に分けて出来た口で、八(分かれる)と呼ばれたからです。
井原西鶴の遺稿の「俗つれづれ」の中に「少年の時は脇明の袖下長く、男子は17歳、女子は19歳に脇明をふさぐ」とあり、成人と同時に脇明をふさいでいます。

昔の時刻で、巳(ミ)の刻(四つ)=今の午前10時頃、 牛(ウマ)の刻(九つ)=今の12時頃、未(ヒツジ)の刻(八つ)=今の午後2時頃で、「おやつ」という言葉もこの「八つ時」に出されたからです。今の「おやつ」は午後3時となっていますが、当時は1日2食(多分今の7時と18時頃)だったからではないかと思います。

身八口は通風口でなく、開いている事を隠すようにした動作が女らしい美しさを表しています。電車・バス等でつり革を持つ時、反対の手で袂を持っての動作は、色気を感じさせます。



衿は形式によって「盤領(あげくび)」と「垂領(たりくび)」に大別されます。

「盤領」は、束帯の一番上に着用する「袍(ほう)」のように、首の回りを円形に縁どった詰襟型のことですが、「垂領」は1般の着物のようにV字型に合わせる衿と、羽織のように左右の衿が垂直になり、交差しない衿とがあります。更にV字型の衿には「広衿」「棒衿」「撥衿(ばちえり)」と衿幅の変化により分けられ、また「おりかえし衿」と「棒衿」に裁縫面より分けられています。
束帯をはじめ、衣冠(いかん)・直衣(のうし)・狩衣(かりぎぬ)などの装束姿を見ますと、最上位の袍(ほう)の衿は「盤領」で、その内に着用する小袖や単など他の衿は「垂領」の衣服で、大別される2種の形式を同時に着用しています。
そして和服の衿は羽織以外ほとんどが内に折ってありますが、洋服の衿は外に折るのが一般的です。
着装面より衿を見ますと、洋服にはない着物らしさが感じられます。

最近の着物は晴着となり、着装が画一化して個性が無くなってしまいました。褻着(けぎ)としての着物は着装時の感情の変化、美意識等に応じて、さまざまの着装の風俗が創造されてきました。着物の衿を胸高に合わせるのはおおむね生娘と寡婦、例外として夫に惚れこんでいる女性で身体を固く閉ざしている印象があります。

昔の母親は娘に、他人の前では胸元に手を触れてはいけませんと戒めました。衿の崩れを直す時には、人目を避けるんですよ。胸元を開く事は男を誘うものとする社会感覚がありました。夫に先立たれた未亡人が、喪の明けぬ内に胸元を緩めれば、世間はそれをさげすんだのです。ヨーロッパでも人前で化粧を直すことは、男を誘う行為だと聞いたことがあります。


左:「盤領(あげくび)」
右:「垂領(たりくび)」



「おりかえし衿」
(写真:日本の服飾文化史
[京都きもの専門学校]より)
衿を正す=気持ちを引き締める
胸襟を開く=心中を打ち明ける(胸のうちを明かす)


左前
(写真:日本の女性風俗史
[(社)京都織物商協会])より
左前「左前」それは着物の着付けの上で、最も避けるべき重大な事とされています。

広辞苑には「左前」のことを、「衣服の右の衽(おくみ)を左の衽の上に重ねて着ること。普通の着方と反対で、死者の装束に用いる」とあります。
左前は着装上の失敗としてだけでなく、死者の装束に用いる着方であることから、「不吉」、「縁起が悪い」など、精神面の拒否反応も強いようです。
しかし、「左前」は死者の装束に限られて用いた着装方法ではありません。
法衣(僧服)の中に、真言宗で着用される「偏衫(へんさん)」という二部式の衣服は左前にして着装します。又「采女(うねめ)装束」の中に「ちはや」と呼ばれる袖のない短衣も左前に着付けをされる場合もあります。

奈良県の明日香で発掘された高松塚古墳の壁画の中にも、左衽(ひだりまえ)にした女性も描かれています。このように「左前」が昔からあったことは明白なことですが、この「左前」が「右」に改められた時期については、いくつかの説があります。
洋服は男と女の前身頃の合わせ方が逆になっていますが、これについてもルーツは不明のようです。

けれども現在の和装においては、男も女も「左前」には着装しないで下さい。