| 「身八口」,「衿」,「左前」 | |
身八口(みやつぐち)
結婚式場を経営されているお得意先の衣裳担当課長さんからお聞きした話です。『留袖をご利用頂いたお客様が、この式場で借りた留袖は破れていたとアンケートに書いてあったので、大変な事をしたとご自宅に伺いお詫びをして「充分注意をしているのですが、どこが破れていましたか」とたずねたところ「留袖の脇が縦に破れていた」とお答えになったので、お客様に恥を欠かす訳にもいかず、身八口の事をご説明させて頂いたんです。』 お客様の年齢は50才前後だったそうですが、ごく一部の方とはいえ、「日本の女性も和装に対する知識はこの程度」と思って接する必要があると痛感いたしました。 身八口は現在の着物では、女物と子供(男女共)だけで、男物にはありません。
「八つ口」と呼ばれる前は「脇明(ワキアケ)」と言いました。
昔の時刻で、巳(ミ)の刻(四つ)=今の午前10時頃、 牛(ウマ)の刻(九つ)=今の12時頃、未(ヒツジ)の刻(八つ)=今の午後2時頃で、「おやつ」という言葉もこの「八つ時」に出されたからです。今の「おやつ」は午後3時となっていますが、当時は1日2食(多分今の7時と18時頃)だったからではないかと思います。 | |
| 衿
衿は形式によって「盤領(あげくび)」と「垂領(たりくび)」に大別されます。 「盤領」は、束帯の一番上に着用する「袍(ほう)」のように、首の回りを円形に縁どった詰襟型のことですが、「垂領」は1般の着物のようにV字型に合わせる衿と、羽織のように左右の衿が垂直になり、交差しない衿とがあります。更にV字型の衿には「広衿」「棒衿」「撥衿(ばちえり)」と衿幅の変化により分けられ、また「おりかえし衿」と「棒衿」に裁縫面より分けられています。 束帯をはじめ、衣冠(いかん)・直衣(のうし)・狩衣(かりぎぬ)などの装束姿を見ますと、最上位の袍(ほう)の衿は「盤領」で、その内に着用する小袖や単など他の衿は「垂領」の衣服で、大別される2種の形式を同時に着用しています。 そして和服の衿は羽織以外ほとんどが内に折ってありますが、洋服の衿は外に折るのが一般的です。 着装面より衿を見ますと、洋服にはない着物らしさが感じられます。 最近の着物は晴着となり、着装が画一化して個性が無くなってしまいました。褻着(けぎ)としての着物は着装時の感情の変化、美意識等に応じて、さまざまの着装の風俗が創造されてきました。着物の衿を胸高に合わせるのはおおむね生娘と寡婦、例外として夫に惚れこんでいる女性で身体を固く閉ざしている印象があります。 昔の母親は娘に、他人の前では胸元に手を触れてはいけませんと戒めました。衿の崩れを直す時には、人目を避けるんですよ。胸元を開く事は男を誘うものとする社会感覚がありました。夫に先立たれた未亡人が、喪の明けぬ内に胸元を緩めれば、世間はそれをさげすんだのです。ヨーロッパでも人前で化粧を直すことは、男を誘う行為だと聞いたことがあります。 | ![]() 左:「盤領(あげくび)」 右:「垂領(たりくび)」 ![]() 「おりかえし衿」 (写真:日本の服飾文化史 [京都きもの専門学校]より) |
| 衿を正す=気持ちを引き締める 胸襟を開く=心中を打ち明ける(胸のうちを明かす) | |
広辞苑には「左前」のことを、「衣服の右の衽(おくみ)を左の衽の上に重ねて着ること。普通の着方と反対で、死者の装束に用いる」とあります。 左前は着装上の失敗としてだけでなく、死者の装束に用いる着方であることから、「不吉」、「縁起が悪い」など、精神面の拒否反応も強いようです。 しかし、「左前」は死者の装束に限られて用いた着装方法ではありません。 法衣(僧服)の中に、真言宗で着用される「偏衫(へんさん)」という二部式の衣服は左前にして着装します。又「采女(うねめ)装束」の中に「ちはや」と呼ばれる袖のない短衣も左前に着付けをされる場合もあります。
奈良県の明日香で発掘された高松塚古墳の壁画の中にも、左衽(ひだりまえ)にした女性も描かれています。このように「左前」が昔からあったことは明白なことですが、この「左前」が「右」に改められた時期については、いくつかの説があります。 |